俺が京都で死にかけた話をしようか ver2
結論と学んだこと
この旅は自分の無気力さを突きつけられ、地元に帰る選択を下す話です。
地元である東京に受け入れられ、帰る場所があることに安心感とアイデンティティを見出すことができました。
今では地元に戻れたこと、そこに生活基盤が与えられたことに感謝しています。
目次
はじめに
2023年夏から年末まで私は京都にいました。
ゲストハウスに始まり、オーストラリアで知り合った人に再開し、教会を見つけ、転落するまでの様相です。
京都へ向かう
出発の日
帰国して数日間、東京の実家に滞在しました。
その後に京都に行くことは決めていました。
家族との再開も束の間、私は再び旅立ちました。
ゲストハウスに到着
ゲストハウスに到着すると、若いアメリカ人の男性が受付で微笑みかけてきました。
(ワタナベです。予約があると思うんですが・・・)
部屋に荷物を置いてから、広めの共有キッチンに向かうと、白人の男性と目が合いました。
2人で話していると日本人の女性が現れました。
そんなこんなで、3人で食べ物を買いに行きました。
あるき回った末に見つけたのり弁当を手にしてゲストハウスに戻りました。
イスラエル人の思い
彼と仲良くなり、信仰について話しました。
私は仏教が中心の国で生まれ、外国でキリスト教に出会ったと言うと、
彼はユダヤ教が中心の国で生まれ、チベットで仏教に出会ったとのこと。
生い立ちも何もかもが反対の彼に興味を持ちました。
俺がオーストラリアで受け入れてもらえたように、
今度は俺が日本人として受け入れる番だと思いました。
翌日、彼は母国の料理を作ってくれました。
料理の名前は覚えていませんが、とても美味しかったのを覚えています。
京都での再開
オーストラリアで出会った女性と京都で再開しました。
せっかくなので清水寺で会うことにしました。
オーストラリアにいたときは、通っていた教会で時々見かけていたので話は合いました。
その流れで一緒に教会を探すことにしました。
京都インターナショナルチャーチ(通称:KIC)との出会い
大学の寮を日曜日に間借りしている教会がありました。
2人で行ってみると、30人くらいが通っている小さな教会でした。
その雰囲気や人たちは、まるで私達がオーストラリアで関わったあの教会のような感じでした。
すっかり気に入った私達は帰り際にこう言いました。
やりたいこと
日本は現在高齢化が加速しており、老老介護という言葉が生まれるほどに事態は深刻です。
子供が自立し空き部屋のある持ち家に住まれている方に見守りサービスを提供しつつ、安価で宿泊できるホームステイのようなものを考案しました。
そうすれば、孤独死のリスクや買い物に行けない問題が解消するのではないかと思ったのです。
実践してみる
まずは形から入ろうと思い、開業し、名刺を作成しました。
名刺を持って町を歩き、人と会おうとしました。
しかし、現実は厳しく話を聞いてくれる人もいませんでした。
であれば、外国人などの京都へ滞在している人へのアプローチをしてみようと思いました。
そこで交流イベントを企画してみると、数人の参加希望者が現れました。
しかし、予定の直前にキャンセルになりイベントは中止に。
逃げのアルバイト
うまく行かなかったため、資金が底をつき始めました。
そこで時間稼ぎのためにアルバイトを始めました。
「ホテルで働いてたから、接客の仕事でもやるか」
そして、清水道の途中にあるお土産屋さんで働くことになりました。
観光地での接客業という珍しい経験ができて楽しかったです。
絶望の中に響いた希望
ある夜、全てに疲れて絶望の感情を抱えながら歩きました。
現実を直視することに疲れたのです。
そんなときに、後ろから金属の音が聞こえました。
「ちゃりん」
振り返ってみるとそこには、半年前にオーストラリアで帰国するときにもらったキーホルダーが落ちていました。
もう付けていることすら忘れていました。
その時、私は神様を否定する理由をまた1つ失ったのです。
教会のサマーキャンプ
その後、KIC(京都インターナショナルチャーチ)で琵琶湖のほとりで2泊のキャンプに行きました。
そこで新しく知り合う人もおり、とても楽しい時間となりました。
楽しいキャンプでしたが、頭には常に負の感情が残り続けていました。
限界に達する
その後しばらくして、心身が限界に達し実家に戻ることにしました。
「もうだめみたいだ」
その時の心は壊れそうな音をたてていました。
東京へ戻るのを1ヶ月後として、後始末を始めるのであった。
その間に大阪のあいりん地区と呼ばれる場所を探索したり、比叡山へ行ったりしました。
日本にある、あいりん地区という町
2023年12月、京都にいた私が出会った場所。
2024.10.13
自宅への別れ
短い間ではあったものの、住んで愛着の湧いた場所を離れるのは少し寂しさを覚えました。
こうして私の京都への旅は終わりました。
立て直し
その後、私が生活をどのように立て直したのかはこちらをご覧ください。
俺が運行管理者になったわけ
これまでの話2023年の末ごろ、京都からボロボロになり東京へ帰還しました。銀行からも家族からも借金があり、将来への希望は持てませんでした。正月明けで特にやりたいことはなく、「またITエンジニアに戻るか」という考えが頭に浮かんでいたことを覚え...
2024.10.06