洗礼資料の解説

未分類

このページでは私が2023年6月3日に洗礼を受けた際の証を公開及び内容の解説をしています。

原文資料

 洗礼式での証に利用した文章の原文です。アイデア出しをマインドマップを用いて作成し、日本語原稿を書き起こし、英訳したものを実際に発表で用いました。

日本語資料(原文)

英語資料(翻訳版)

マインドマップ

日本語資料を作成する前段階として作成したマインドマップの原文です。

発表スライド

発表時に利用した実際のスライドです。(2025/4/11: ファイルを発見したので公開)

用語解説

CrossCulture

メルボルンの中心部(CBD)にあるインターナショナル教会の名称
https://crossculture.net.au/

English Corner

CrossCultureにあるミニストリーで、英語を第二言語として話す人(ESL)向けの学習を目的として開催されている無料交流会。
奉仕者が10名ほど、参加者は30人ほど。
https://crossculture.net.au/englishcorner/

STEP

CrossCultureにある学生を中心としたミニストリーの名称。人数は全体で100名ほど。
https://crossculture.net.au/students/

Living Water

STEPのスモールグループの一つの名前。人数は20人ほど。

ストーリー解説

オーストラリアへ来る前の生活について

 私はオーストラリアへ来る前まで東京でシステムエンジニアとしてWEBアプリケーションの開発者をしていました。当時は神の存在を完全に否定しており、アンチクリスチャン或いはアンチ宗教という立場を明確にしていました。
 また、お金に執着がありファイナンス関連の書籍を読み、資本主義を攻略するかの如く勉強に励みました。当然、それらの目的は「どれだけお金を作れるか」でありそれと関係のないことについては興味がありませんでした。
 しかしながら、この実用書を読むという習慣が聖書を読み始める要因となったことも事実です

オーストラリアへ来る覚悟

 当時はエンジニアとしてのキャリアを築き上げることが目標でしたので、オーストラリアへ行くことはそれらを捨てることと同義です。ここには葛藤がありましたが、表現が難しいので割愛します。
 私の好きな言葉に”No pain, no gain”という言葉があり、この言葉を信じて痛みを甘んじて受け入れることとしました。

聖書について何故か考えた

 一般常識として聖書が何かは知っており、それが文化へ多大な影響を与えたことも知っていました。
 「英語を話す機会にもなるだろうし、暇だから教会にでも行ってやるか」くらいの気持ちで近くの教会に行くことにしました。
 そこではよく分からない人たちよく分からない言葉よく分からない事柄について話しているという感想以上の感想がありませんでした。

無料の英語レッスンを見つける

 2つ目として(証には3つとあるが、記憶がないので定かではない)、CrossCultureという名前の教会に行きました。それはEnglish Cornerという名前でESL向けの英語の勉強会が催されていたのでそこへの参加を目的としていました。難易度的にも丁度良く、周りの人とのコミュニケーションも比較的うまく行ったことから毎週のイベントに通うようになりました。

未知の優しさに触れる

 English Cornerで主催していたクリスチャンを含めて、異様に「良い人」たちだったことに疑念を感じます。
 「この人たちが俺に優しくする真意はなんだ?金目的か?いずれにせよ宗教勧誘の序章か?」
 そんな疑いの眼差しを持ちつつも英会話の練習をする場所として最適であったためイベントに毎週通いました。
 私にとって優しくすることは対価のためであるという常識があったためです。お店の定員が笑顔で接客するのは客が商品を購入するから、物を無料で配るのは別の商品の導線にするためなどです。

そしてサービスに参加する

 English Cornerのイベントが終わった後に、そのライフグループの一人から誘われて夕方サービス(Evening Service)に参加しました。
 丁度いい英語の聞き取り練習になるだろうという狙いと、なぜそこまでおすすめするのか疑問に思ったからです。「彼らの考え方の根源を知ることができるかもしれない」と思いました。
 独特な雰囲気で良い印象はありませんでした。内容もよく理解できませんでした。しかし、毎週のEnglish Cornerのあとに夕方サービスに参加するのが常となりました。

学生の集まりに招待される

 ある日のEnglish Cornerの後の交流時間のことです。ある学生ライフグループのメンバーからSTEPという学生グループへ招待されました。
 当時、私は日本の大学のオンラインコースを受講していたため当該グループへの参加要件を満たしていました。
 そうして、毎週土曜日の夕方に開催される学生グループの交流会へ参加することにしました。
 English CornerではESLの人がほとんどでしたが、STEPでは現地の大学・大学院の学生ということでほぼ全員がネイティブスピーカーでした。
 STEPは100名ほどの学生で構成されていましたが、日本人は私だけだったようで珍しがられました。

STEPのスモールグループへ繋がる

 STEPの集まりで誰も知らない状況から一人の人が私に話しかけてきました。彼の名前はJcob(ジェイコブ)といい、STEPの中のLiving Waterという名前のスモールグループのメンバーでした。
 そうして私はLiving Waterへ招待されることとなります。

イースターキャンプへ行く

 STEPの企画でイースターの時期にイースターキャンプへ行くこととなりました。2泊3日で泊まりがけで行きました。
 キャンプ中のサービスでSTEPリーダーのJesse(ジェシー)のセッションがありました。そのセッションで語られたことは”Jesus is your older brother.”という趣旨であったと記憶しています。これを聞いた時に私の中でJesusへの認識が変わり、より身近に感じることができるようになりました。

憧れを抱く

 そうやってSTEPのメンバーと時間を過ごす中で私の中で「彼らのようになりたい」という意識が芽生え始めました。
 そして、同時に日本人としてのパーソナリティとのギャップから日本文化がどのような物なのかわかるようになりました。これを私は日本文化が浮き彫りになるような感覚であると証で表現をしています。

祈るように勧められる

 キャンプの後のこと、日本人でその教会の牧師をしている人から祈ることを勧められました。
 祈ることにはかなり抵抗がありましたが、作業的にやってみることにしました。
 初めて数日後のことです。ただ言葉として出ているだけのような「イノリ」でしたが、ある日、それが意味を帯びた気がしました。まるで精霊に祈りを乗せていくような感覚です。相手の耳に確かに私の声が届いていると認識するかの如くです。
 この感覚から私は神さまをもっと知りたいと思うようになりました。(証には「信じたい」とあるが、「知りたい」の方が適切だったと思う)

「信仰」が何かを定義する

 私は幼少期から「神さまを信じる」ということをしたことがありませんでした。日本の神社で買う「お守り」は布切れ、紙切れだと以前から認識していました。
 そのため、神さまを信じるという意味が分からなかったので何をもって「信仰」があると言えるのかを定義する必要がありました。
 そこで私は「神さまのことをもっと知りたいと思っている」、「神さまの言葉に価値を感じている」ということを信仰があるかどうかの有無と定義することにしました。
 この基準と照らし合わせて私は自身について「信仰がある」ということができるのです。

不動の事実について

 聖書は単なる物語や歴史を示した書物ではなく、人の人生を変えうる物であるということを自分の人生を通して実感するに至りました。
 ひたすらに神さまを否定し続けたものの、不覚にも私への代償を帳消しにした上で抱えきれないほどの恵みを受け取ることになりました。
 神さまとの壊れた関係は回復されてしまったのです。そして、その方法はJesus Christを中心とした愛と赦しと恵みによるものでした。

こうして私は2023年6月3日に洗礼を受けてクリスチャンとなるのでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました