無神論者との会話
前提
私について
私は東京生まれ東京育ちであり、一般的な家庭で育ちました。宗教については否定的でありつつも、伝統的な宗教(神道や仏教)は文化として受け入れていました。
Sくんについて
モデルになった人は実在しますが、ここでは私の空想の人物をSとします。内容や性格については脚色を含み、実在する人物とは関係がないものとします。
日本人の男性像について
「日本人男性」と大きな主語を使っていますがこれは私の経験に基づく暗黙的な文化の影響を言語化した仮説です。20年近く、無神論者の日本男性として生きてきて、見えた暗黙的な文化などを記したいと思います。
- 問題は自力で解決しなければならない
- 人間関係は利害に基づく
- 基本的に宗教に関心がない
問題は自力で解決しなければならない
問題は誰も解決してくれないという前提があります。
なにかに困っているのであれば、自分でやらないといけない。自分が何もしなければ何も変わらないということです。
人間関係は利害に基づく
友達や中の良い人になるための要素に、利害関係が大きいことに気が付きました。
- 店員が優しいのはお金のため
- 同僚が優しいのは仕事を円滑にするため
- 宗教勧誘が優しいのはその報酬のため
エトセトラエトセトラ、、、
つまり、何かしらの目的があってこその優しさということです。
このお互いの目的を暗に共有することにより、人間関係が成立すると考えています(いました)。
基本的に宗教に関心がない
まず、宗教はなんの役にもたたないと思っています。
祈っている暇があるなら、ジムにでも行こうぜと言わんばかりです。
対話
教会の定義って何?
彼は考えながら答えを考えている様子でした。
奇妙な人間関係
拒否感について
単純に遠いから行きたくないという彼の発言は嘘ではないようでした。
近くの教会に同じライフステージの男性がいれば良いなと感じました。
話題を逸らすS
悪く言うつもりはありませんが、 話のそらし方やその強引な割り込みから精神的な未熟さを感じました 。
これは見下している訳ではなく、私自身が同じ道を辿ったのでそう感じるという意味です。
神様は私をより成熟した精神の持ち主に成長させてくれていると感じる一方で、彼はそう感じないのです。
神様を知ることはレイヤが違う
個人的にこの例え話は 聖書や神様に関する核心 でした。見える世界のレイヤが変わる経験を実際に私はしました。
共通の話題
非クリスチャンの頃を思い出すと、話題は仕事や趣味・恋愛といった事柄に偏っていました。
所謂 「他愛もない会話」 です。私はこのような他愛もない会話はどれだけ繰り返しても仲は深まらないことに薄々気が付きました。
横の関係
これは私がオーストラリアで教会に通っていたときに受けたカルチャーショックです。
「なぜ彼らはそこまで仲がいいのか」、その疑問の答えは言語化が難しいですが一般的な日本人との感覚に大きな乖離があることは間違いありません。
三位一体は参照である
プログラムのデータは実体と参照に分かれています。具体的なデータが実体、それを使うための場所を示しているのが参照です。
具体的な家そのものが実体、家の住所が参照と言えますかね。
これになぞらえて、神が実体で、イエス・精霊・父は一つの神を参照するものだという例え話をしました。