アイキャッチ画像は当時働いていた会社の休憩室で何気なく撮った写真です。
これからどうするのかとある日の昼休みの時間に急に思い始めました。
はじめに
私は2025年の頭にまたしても変化を下すことになってしまいました。
2024年の4月、清掃会社で運行管理として就職することにより一定の社会的地位と安定した生活を手にすることができたのでした。私の両親もやっと安定した仕事が見つかったねと喜んでいたことを覚えています。
その時の話についてはこちらをご覧ください。
平穏な日常へ影が掛かった日のこと
2024年11月ごろのある日のことです。ある中堅社員からこのような話がありました。
中堅社員「退職することになりました。」
5人ほどがいる事務所の時間は止まり、その場の空気が凍りつきました。
退職理由は社長によるパワハラでした。
社員が退職した場合は業務の引き継ぎをしなければいけないものの、現状でもキャパシティを大きく超過しているため現実的ではありません。しかし、現実的であるか否かは関係ないため真正面から向き合う必要がありました。
しかし、他の社員はその危機感を感じつつも解決を先送りにしたのです。引き継いでしまうと社長のパワハラの矛先が自分に来てしまうという考えからの逃避的な行動であったと私には見えました。私が危機感から具体的な方策の提案を行いましたが、それが実施されることはありませんでした。
正月での出来事
忙しい年末を終えて、束の間の正月休暇がありました。
私は12/31 – 1/2の計3日間でした。
そのすべての日を私は実家で過ごし、1/1は母親の実家に親戚で集まりました。
そして親戚の一人からこのようなことを言われました。
「元気なうちに親孝行しておけよ」
そしてしばらくの間、この言葉が頭から離れませんでした。
人生を変えるのはいつだって3日だということ
その日は突然訪れました。
2025/1/7 計画について考える
中堅社員が退職することになり、業務が炎上プロジェクトのようになることは明らかでした。
如何にしてその退職をカバーするかと私は懸命に考えました。
しかし、引き継ぎ資料と説明からわかることは「私には手に追えない業務量であること」ということでした。
この日の休憩室での後輩と会話をしていた時のことです。
後輩社員「上司から『お前の仕事の仕方がバイトと同じだよ』って言われましたよ。まあぶっちゃけ俺は別にバイトでもいいんだけどね。運行管理じゃなくて。」
上司は彼の研修を受けるスタンスが、上司から見てバイトや派遣と同じようだと思いそのように言ったのでした。
彼は退職を検討している旨の発言を私にしたため私は必死でフォローしました。
「俺も最初はそのように言われたから気にしないで」と。それは本意からの言葉でした。
その日の夜のこと。自宅に戻ってから、これを乗り越えるにはどうしたらいいのかと思い悩み、聖書に手を伸ばし開くとこんな句を見つけます。
ソロモンの箴言。知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる
箴言 10:1 ー新改訳2017ー
頭に引っかかっていた親戚から言われた言葉と繋がり腑に落ちました。
そして、知恵を父の喜びのために用いることこそが私のために用意されていた計画に通ずると感じました。
現職を維持しつつ、実家の家業(ダンプ屋)をやることを視野に入れ、近い将来に現職を退職することが頭をよぎりました。
しかしながら、運行管理としての経験が最低でも2年は欲しいのでもう少し頑張ろうとこの時は思いました。
2025/1/8 退職を決意する
職場で朝に休憩しているときに1つの歌を思い出します。
There’s so much more to the story,
More Than Able (Elevation Worship) の歌詞より引用
You’re not done with me yet.
直訳)たくさんの物語があるけど、まだ私と成し得ていない。
個人的解釈)まだやり残していることがたくさんあるんだよ。
そして私は自分自身へ「なぜ決断に迷っているのか。なぜ決断を先送りにするのか。」と問いました。
その答えはシンプルに怖いから。しかし怖い決断が過去に何度も私を成長させたことを思い出し、退職を決めました。
練馬区の一人暮らしをする家に戻り、再び聖書をめくっていたら以下の聖句が目に留まりました。
人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。 人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。 あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。
箴言 16:1-3 ー新改訳2017ー
やはり、人には自分の行いや選択が正しく純粋に見えるのが性であると思うとともに考えることを放棄して現職を続けることは反するということが確固たるものとなりました。
収集作業員として生活を維持しながら大型免許を取得し、父親の会社で少し働いてみようと考えがまとまりました。(が、こののちそのプランは撤回した。)
2025/1/9 退職を伝える
前日のうちに作成した退職届を社長へ渡しました。この時に躊躇はありませんでした。
そして、別の管理職へ同様に退職の意を示します。
事前の告知はなかったため、少しの驚きを与えてしまったことを感じとりました。
しかしながら、すでに決まったことであるという表現から、それ以上の追跡はありませんでした。
こうして激動の2025年が始まるのでした。
コメント