俺が運行管理者になったわけ

未分類

これまでの話

2023年の末ごろ、京都からボロボロになり東京へ帰還しました。
銀行からも家族からも借金があり、将来への希望は持てませんでした。

正月明けで特にやりたいことはなく、「またITエンジニアに戻るか」という考えが頭に浮かんでいたことを覚えています。

京都での出来事についてはこちらをご覧ください。

小学生向けのプログラミングスクールで働いてみる

ITスキルというアドバンテージを活かしつつ、納期によるストレスがない仕事ということで以前も私が経験のあるIT講師になることを思いつきました。

私の父親は小さな会社を経営しており、その家業を手伝いつつ小学生向けのプログラミングスクールでパートタイムで働いて生活をすれば大分楽なのではないかと思いつき実行しました。
面接は通過し、勤務して数日のこと。

この仕事は合わないと考えてやめました。

この間、3週間ほどのことでした。

システムエンジニアの面接を受けてみる

次に、IT技術者としてのキャリアと決別できていなかったので再度システムエンジニアになることを思いつきました。
過去の経験から面接は通過し内定を得ることができました。大手運送会社の社内SEです。
しかし、以前の教訓から技術は手段であり目的ではないという思いが強かったため、

内定は辞退しました。

この間、3週間ほどのことでした。

父親が逮捕される

突然の電話

ある日のこと、父親の会社の社員から自宅に電話がありました。

「社長が警察に連れて行かれた」

その日から約1ヶ月、父が家に戻ることはありませんでした。
ただ、逮捕されたと言っても殺人を犯したわけではありません。

「白トラ」で逮捕されたのです。

それは業界内で国内において初検挙であり、本人は「運が悪かった」と言っていました。
白トラとは白ナンバーのトラックで営業行為を行う違法行為です。
他社の物品もしくは人を運搬する事業者、運賃をもらって業務を行う事業者に緑ナンバーの装着義務があります。それがなかったために私の父親は逮捕されました。
罰金は個人に50万円、会社に50万円の計100万円でした。

留置場から帰ってきた父から緑ナンバーについて聞いて私はその存在を意識するようになりました。
そして、父を助けるために私は運行管理者になりたいと思うようになりました。

この間、1ヶ月弱のことでした。

運行管理者として経験を積もうと思った

運行管理者という仕事を知ってからのことです。私は運行管理者としての実務経験を積みつつ父親の仕事で運行管理者となるため、パートタイムでできる運行管理者の仕事を探しました。
貨物はパートタイムでの募集が非常に少なかったですが、やっと見つけた募集に応募して面接に辿り着きました。

面接の結果は不合格

私は運行管理者としてパートタイムで働くことを諦めました。

この間、3週間ほどのことでした。

運行管理者として経験を積もうと思った②

パートタイムが無理ということであれば、正社員として就業して経験を積もうと考えました。
私は求人サイトでいくつかの貨物の運行管理者の正社員求人へ応募しました。

結果、3社の書類選考が通過しました。
そして、

面接の結果、2社から内定をもらいました。

一社は物流会社、もう一社はごみ収集会社。
父親の会社の業務に近いのは前者。

どちらにするのか悩んだ末に私は後者を選択しました。

ごみ収集会社への就職を決めた理由

面接で言われたこと

面接ではその面接官からこのように言われました。

「ここにはどうしようもない奴らがいる。低俗な話ばかりしている。それでも大丈夫か?」

使命との関わり

 私は京都での経験を通じて金銭で解決できない問題を如何にして解決するかに重点を置いています。
 面接官の言った言葉が私のこの使命に通ずるものを感じました。そのため、面接で私は大丈夫であると即答するに至りました。
 私はそのような人々から人生のヒントを得ようと思い、ごみ収集会社へ就職することにしました。

想起した聖書の話

以下はマタイの福音書からの引用です。日本語版はこちらから。

As Jesus passed on from there, he saw a man called Matthew sitting at the tax booth, and he said to him, “Follow me.” And he rose and followed him. And when the Pharisees saw this, they said to his disciples, “Why does your teacher eat with tax collectors and sinners?” But when he heard it, he said, “Those who are well have no need of a physician, but those who are sick. Go and learn what this means: ‘I desire mercy, and not sacrifice.’ For I came not to call the righteous, but sinners.” ‘

Matthew 9:9,11-13

取税人とは税金の取り立てをする仕事をしている人であり、大変嫌われている存在でした。
そんな嫌われ者たちと過ごしていた主は当然ながら、目をつけられることになります。
しかし主は「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」と言われます。
主は丈夫な人や偉い人のためにいるのではなく、病人のためにいると言っているのです。

そこで私は思いました。本当に必要なことは人から嫌われていることなのではないかと。
誰も目指さないことを通して、私は具体的な行動を伴って聖書へ答えようと思いました。

これが私の選択の理由です。

追記:2025年初頭で退職

 この会社への就職は学ぶことも大きく良い選択であったと自負しています。
 しかし残念ながら連鎖退職が発生し、この職場は潮時だと思い退職しました。
 その後にどうなったかについてはこちらをご覧ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました