俺が京都で死にかけた話をしようか

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はじめに

アイキャッチの写真は京都で撮影した夕方の清水道です。あの有名な清水寺の途中にある道で有名ですね。
これを読んでいるあなたはもしかしたら、「綺麗な写真だな」と思ったかもしれません。

実際には死にかけて、絶望の渦中にいました。

楽しげに話しながらアイスクリームを食べている人を横目に、呆然とただ歩いていました。
いつか自分への戒め、思い出として見返そうと撮った写真です。

何をしていたのか

 私は2023年の7月ごろから同年の年末まで京都にいました。6月まではオーストラリアにおり、帰国して東京の実家に数日間滞在した後に京都へ飛びました。

なぜかって?世界の人々に日本の本当の姿を見せたかったから。

 実際に海外に住んでみて、観光客と住民の感覚には大きな乖離があることを知りました。観光で日本に来られる方に見えている世界は本当の日本ではないことを確信しました。それと同時に、本当の姿を見せてあげたいと思うようになりました。
 京都に来ること自体はオーストラリアにいるときから決めていたことでした。

結論

 ビジネスとして実施するにあたり、開業をして個人事業主として活動をしました。
しかし、マネタイズに失敗をし家賃が払えなくなる寸前までに陥りました。
 そして負債は銀行から30万円、実家から50万円で決着がつきました。
 それでもやりたいことができて楽しかったです。

やりたかったビジネスについて

 日本は現在高齢化が加速しており、老老介護という言葉が生まれるほどに事態は深刻であると受け止めています。
実際に介護支援が受けられず、買い物にも行けない人がいると考えています。そしてそのような方の中で、子供が自立し空き部屋のある持ち家に住まれている方を対象としたサービスを考案しました。

 それは京都に観光に来ている人のホームステイ先として、高齢者宅の空室を使ってもらおうというものでした。

 そうすれば、孤独死のリスクや買い物に行けない問題が解消するのではないかと思ったのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。まず、高齢者は警戒心が強いので他人を家に置きたくないという思いがあり、それを乗り越えることができませんでした。

当時名乗っていた時の名刺

計画性の欠如からの転落

 事業で収益が上がらないのでアルバイトをしながら生計を立てようと思っていましたが、そこにも誤算がありました。

 生活費を十分に稼ぐためにアルバイトに時間を多く使わなければいけないということです。それを減らして事業に集中すると生活がショートします。そのような状況下で仕事を減らして生活していました。

 以下の写真は当時の限界生活の給与明細です。家計は赤字でタイムリミットが迫っています。

絶望の給与明細

生活が苦しくなるのは当然だろうという声が聞こえてきそうですが、全くもってその通りです。

ただ、やってみたかったからやった

ので計画も何もありません。今となっては良い思い出です。

生活費について

 事業収入が得られていなかったので収入はアルバイトに頼り、約10万円前後。
支出は以下の通りです。毎月3万円程度の赤字です。これでも安定期の話であり、事業出資が必要な場合や、京都へ引っ越した初期の頃を支出はかなり膨らんでいました。

 こうして50万円ほどあった資金はすっかり底を付き、自転車操業に突入しました。

 こうなってしまうとリカバリーは困難であると考え、私は東京の実家へ戻る決断をしました。
 これが2023年の12月のことです。

教会について

 京都にいる時も教会へ通っていました。オーストラリアの教会に近い教会・・・ということでいくつかの教会にあたり最終的に行き着いたのが京都インターナショナルチャーチ(通称、KIC)という場所でした。

Kyoto international church 京都インターナショナルチャーチ

 こちらの教会は建物を間借りして2週間に一回の対面サービスがありました。雰囲気がオーストラリアの教会に非常に近く、通うようになりました。

夏のキャンプへ行く 2023/8/26 – 8/27

 新しい教会に来始めて2ヶ月ごろのことです。1泊2日で夏のキャンプに行くことになりました。
 キャンプはとても楽しいものになり大満足でした。しかし自分自身に余裕がなかったため負の感情が渦巻いていたこともまた事実です。

キャンプ場の様子 敷地内の左の建物内に滞在 右の建物でサービス
キャンプ中に考えることについて
夕方の時間帯の写真
朝5時の幻想的な空の写真 あまりの美しさに写真を撮った

血の気が失われる

 事業がうまくいかず先行きが不透明すぎる日々を送っていました。そんな環境の中では周りの人とうまくやっていくことなど到底できませんでした。なんとなく教会に行き、元気な自分を装う日々と成り果ていました。
 最終的には装う余裕すら失われて表情筋が機能しなくなるほどにまでなりました。まさに顔が死んでいるようであったことは自分でも気がつきました。

現実逃避の鴨川

 あまりの絶望に呆然としながら見つめていた京都の鴨川という川です。
 その時の教会で知り合った年下の男性が着いてきて一緒に無言でこの川を30分くらい見つめていました。それでちょっと励まされました。
 その後、何事もなかったかのように立ち上がりご飯を一緒に食べに行きました。彼とは特に良い関係を構築することができたと思っています。

絶望の鴨川

立て直し

その後、私が生活をどのように立て直したのかはこちらをご覧ください。

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